私のウェルエイジング

親の老いに気付くとき

親の老いに気付くとき

これは井形慶子さんの著書「最後は住みたい町に暮らす」の

12ページにある見出しです。

そして

50代に入ったあたりから、同世代の友人知人にあうと必ず親の話になった。

介護などまだまだ自分には関係ないと思っていたが

あの人も、この人も・・・・・

と始まっていきます。

この本は今年2月29日に発刊されました。

手元に置いて1ヶ月あまり経ちます。

そして、知人から電話がありました。

その本のこと朝日新聞4月22日で鷲田清一さんが

「折々のことば」で紹介されていたよ、と。

「折々のことば」として紹介されているのは著書の中の

望むサポートは、これだけ近づいてもなかなか見えないものだ。

の一文です。

 

私たちは高齢期の住まいの提案に際し、

「高齢者に寄り添う住まいと暮しの提案を致します」と話す時があります。

でも、その言い方に反省を繰り返しています。

本当に寄り添うことができているのか。

 

実の親子でも本当に望んでいる暮らし方や支えてほしいところを

共有することはとても難しいし、それを第3者となればなおのことです。

一方、相談を受ける経験を積む中で、他人であることで聞きやすかったり、

話しやすそうだなと感じることもあります。

 

自分がその年代になって初めて、親の望んでいたことに気付く

著書の最後の方に

「そして今思うことは、住まいも生活もシフトチェンジするなら早い方がいいということ。

・・・・・残る人生をどう生きたいか、そのため、お金や不動産はどうするのか。

作業をする中で初めて親の本音がわかるかもしれない。」

とあります。

人生は一人ひとり、それぞれ歳を重ねながら思いも重なっていくものだと思います。

自分がその年代になって初めて、親の望んでいたことに気付くというのは

ごく当たり前で自然だと思うのです。

とは言え、親と向き合うのは常に年齢差と共にあり、

お互いの人生に寄り添うむずかしさは付きまといます。

 

「最後は住みたい町に暮らす」を読んで

住まいづくりに携わる私たちは、もっと「寄り添う」という言葉に

「寄り添う」必要があると教えてもらった気がします。

 

著書に触れながら、「最後まで守りたい人生、住みたい場所」に寄り添い

住まいと暮らしづくりに活かしていきたいと願います。

 

育暮家